この記事は2020/11/20に書いたものです
「宇宙からやってきて地球を守るために戦ってくれる巨人といえば」。
こう聞かれたら皆さんこう思うでしょう。
ああ、ウルトラマンの事ね。と。
では、同じ質問を1965年の人々にしてみたらどうなるでしょう。
きっとこう思うのではないでしょうか。
「なんじゃそりゃ?」と。
身長40mで
宇宙からやってきた宇宙人で
怪獣と戦い地球を守ってくれる
巨大なヒーロー。
一体それはどんな存在なのか。一体何者なのか。
その問題を誰よりも悩み、誰よりも真剣に向き合った人物がいます。
俳優 古谷敏。
またの名を「ウルトラマンになった男」。
古谷敏氏は1943年生まれの俳優さん。現在もご存命です。
幼い頃から映画が好きで、その流れで俳優として東宝に入社。その後はエキストラや端役でキャリアを積んでいました。
転機
転機となったのは1966年のこと。
この年に放送されていた円谷プロダクション制作のテレビドラマ「ウルトラQ」にスーツアクターとして出演。この中で「ケムール人」という怪人を演じました。
もっとも、本人曰く騙し討ちの様にやらされた仕事らしく俳優なのに顔は出ないし、いざスーツを着て被り物をしてみたらめちゃくちゃ重いわ、視界は悪いわ、塗料のせいで臭いわ、内蔵モーターのせいでうるさいわ、と散々な仕事だったとの事。
本人的には二度とスーツアクター(この頃はこの言葉もなかったのか自書の中では「ぬいぐるみ俳優」という言葉を使っている)はやらないと心に誓っていたそうです。
しかし、そんな決意も虚しくこの時すでに彼はある人物から目をつけられていたのでした。
彫刻家 成田亨。
ケムール人のデザイナーであった彼は古谷氏が担当したケムール人を絶賛。円谷プロから次回作のヒーローのデザインを依頼された時に古谷氏が入ることを前提にデザインを始めていました。
そして成田氏は円谷プロダクションの新ヒーロー「ウルトラマン」を古谷氏の為の器として作りあげ、自らの理想のヒーローを実現する為に古谷氏に猛アタックをかけます。
ケムール人の苦い経験から当初は断っていた古谷氏でしたが成田氏の熱意に押されこれを承諾。
1966年。こうして彼は光の巨人「ウルトラマン」となったのでした。
役を受けたはいいものの、宇宙人で、巨人で、怪獣と戦って、何処へと飛び去って行く。こんなキャラクターには前例がない為、どうやって演技したらいいのかすら分からない状態からのスタート。
更に現場は過酷であり時に命の危険すら感じる状態で、引退を本気で考えた事もあったそうです。
それでも脚本の金城哲夫氏、特技監督の高野宏一氏を始めとした制作スタッフたち、そしてなによりウルトラマンを楽しみにしている全国の子供達に支えられ彼はウルトラマン全39話を演じきりました。
そして続く1967年。
ウルトラQ、ウルトラマンに続くウルトラシリーズ第三弾として「ウルトラセブン」の制作が決まるとウルトラ警備隊の一員「アマギ隊員」としてレギュラー役に内定します。
この内定にはウルトラマンを演じ切ってくれた事に対する円谷プロからのお礼や顔の出る役をやらせてあげてほしいというウルトラマンのファンからの要望もあったそうで、レギュラー役の中では一番最初に決まったそうです。
ちなみにこのアマギ隊員はウルトラ警備隊の科学担当で、持ち前の分析力と科学力でセブンの命を二度も救っています。また、最終話ではモロボシ・ダンがセブンに変身したのは「怪獣を倒す為」ではなく「アマギを救う為」だったりと役回りは地味ですが彼なしではウルトラセブンは作れないという美味しい役を貰えてます。
独立
1968年。
ウルトラセブンにてアマギ役を演じ切った後、古谷氏に再び人生の転機が訪れます。
俳優を続けようにもどんどん縮小して行く映画業界の現状を見た彼は俳優を引退。「ビンプロモーション」という会社を設立します。
これはイベントなどでのアトラクションショーを企画する会社で、当時としては珍しい誰でも無料で見れる怪獣ショーの企画を主力としました。
また、怪獣ショーでは古谷氏自身もアマギ隊員として全国を興行。本物の防衛チーム隊員が怪獣たちと一緒にやってきて、しかも無料で会えるという子供達にとって魅力しかない企画でビンプロモーションは躍進を遂げました。
しかし、時の流れとともに怪獣人気は低下。怪獣ショーも以前の様に盛り上がらなくなりビンプロモーションの経営も徐々に悪化。
そして1991年。バブル崩壊の影響もあってビンプロモーションは解散。自身も多額の負債を背負うことになりました。
これ以降、古谷氏は関係者との連絡を断ち表舞台に出る事もなかった為、消息不明に。一時期は死亡説や夜逃げ説も出回っていました(当然ながら現在もご存命ですし、精算は完了しているとの事なので夜逃げ説も事実ではありません)。
復活
そんな彼が再び表舞台に現れたのが2007年。
広告を見て開催を知った成田氏の展覧会(この時、成田氏は既に鬼籍に入っており、主催者は奥様)に足を運んだ際、成田氏の奥様と対面。
初めは奥様に挨拶をして、その後のトークショーを聞いて帰るつもりでしたが奥様のご厚意で「会場にウルトラマンが来ている」と紹介された事で再び表舞台に姿を表すことになります。
その突然の帰還に会場にいた人々も、ニュースで知った人々も、かつての共演者達も驚き、そして歓喜することになります。
現在
現在古谷氏は俳優に復帰しており「シンビンプロモーション」なる会社を設立。自身も参加する様々なイベントを企画する事業をしております。
イベントは毎回大人気の様で、70歳の誕生日を祝う企画では応募枠を遥かに超える応募が殺到してしまい、混乱回避と安全の為にイベントを中止せざるを得ない状況になってしまったほどです。
途中で逃げ出す事なく最後まで真摯にウルトラマンを演じきったからこそ、今でも多くのファンに支えられる存在なのですね。
出版
古谷氏の帰還を誰よりも喜んだのがウルトラセブンで共演したアンヌ役のひし美ゆり子氏でした。
そんなひし美氏から提案されたこと。それが
「本を書いてみないか」
という事でした。
そうして古谷氏が書き上げたのが「ウルトラマンになった男」です。
日本で初めてウルトラマンを演じた彼にしか話せない撮影秘話の数々が当時の心境と共に赤裸々に語られており、正にウルトラファン必見の一冊となっております。
当然、私も持ってますよ。何回も読み直してます。
電子書籍化もされているので誰でも手軽に読むことができます。
世界で初めて光の巨人になった男の人生。是非一度、ご覧ください。
余談
最終回でウルトラマンを倒したゼットンという怪獣がいますが、古谷氏は自書の中で「なんであんなよわっちそうな奴にウルトラマンが負けないといけないんだ!」と記述しております。
初代ウルトラマンを倒し今でもシリーズを代表する強豪怪獣に「よわっちそうな奴」と言ってしまうのは彼ぐらいなものでしょう。さすがウルトラマン。
ウルトラマンで非常に有名なスペシウム光線のポーズ。
これは撮影スタッフと古谷氏が試行錯誤を繰り返して作り上げたポーズですが、このポーズを完璧なものにする為に古谷氏は毎日自宅の鏡の前で300回練習していたそうです。
実際ウルトラマン本編の映像を見るとスペシウム光線の構えは指先まで力が入っててビシッ!とキマってますよね!
あのカッコ良さも古谷氏の地道な努力のもとに生まれていたんですね。
ちなみにこの後遺症(?)で今でも鏡を見るとポーズをとってしまうんだそうな・・・。